シオカワグループ シオカワグループ

Our thinkingシオカワグループの考え方

理念Philosophy
日本全国の1人でも多くの人にカイロプラクティックの持っている無限の価値を知っていただき、その人にとってカイロプラクティックが大切なものとなること。そして感謝、感動、希望にあふれる日本社会の実現を目指す。
ミッションMission
全国の各地方でサブラクセーションに特化した科学的な検査システムを実践しているカイロプラクターを輩出する。
ビジョンVision
常に哲学・科学・芸術を重んじ、カイロプラクティック業界のリーダーとして業界の発展を目指す。

シオカワグループが
最も大切にしていること

シオカワグループでは、半世紀以上続く伝統を守り、学び続けることを止めません。カイロプラクティックの本質である哲学・科学・技術を追求し続け、次世代のカイロプラクターの育成に努めております。

本質である「哲学」を伝え続ける。そして教育を通じて成長し続けること。これこそが我々が最も大切にしていることです。グループの代表を務める塩川雅士D.C.が、アメリカ留学から戻ってきた際、塩川満章D.C.はすぐに日本で色々な人にカイロプラクターとして教えた方が良いと言いました。当時、臨床経験も少なく、非常に不安だったことを覚えています。

やるからには全力でと思い、カリキュラムも自身で組み立てました。テクニックは弟の塩川貴士D.C.が担い、私が哲学を担う形です。アメリカ留学時代、一時期とても困った時がありました。クリニックで臨床経験を積む際、自身ではなかなか患者さんを呼べなかったのです。しかし、その時クリニックの先生に渡されたのがカイロプラクティック哲学の書物です。哲学を勉強したことで自分に軸ができました。それと同時に、この哲学を全人類に伝える使命を感じました。

ですから、帰国後は、診療が終わった後に1週間かけて2時間の講義のために色々準備を行いました。誰よりもカイロプラクティックに時間を費やしていた自負があります。生活の優先順位をとにかくカイロプラクティックに置くぐらいが、教える側の責任だと思い取り組みました。

いざ教えるとなると、「知っている」や「理解している」だけでは教えられません。堂々と受講生に伝える(教える)ことで、自身が成長できたように思います。私の父(塩川満章D.C.)も後で聞いたところ、そうだったと言っていました。そして、その行動が自分の仕事に誇りを持つことができました。カイロプラクターがそうなれば、おのずと患者さんは来院してくれます。私をここに導いてくれたのがカイロプラクティック哲学です。哲学を学ぶことで、哲学と科学・芸術がすべてつながりました。

研究をし続け、先輩が後輩に、後輩がまたその先の後世に…我々は伝統を守り、学び続けることを止めません。

シオカワグループ代表
塩川雅士

シオカワグループが最も大切にしていることシオカワグループが最も大切にしていることシオカワグループが最も大切にしていること

シオカワグループ代表
塩川雅士

塩川雅士
1998年
17歳でアイオワ州へ渡米
2004年
パーマーカイロプラクティック大学を優等で卒業・米国連邦政府公認 D.C.(ドクターオブカイロプラクティック)
2005年
豊田自動織機の女子陸上部員、千葉真子選手の専属トレーナーを経験
2006年
新橋の塩川カイロプラクティック治療室にて勤務・塩川スクールにて講師として勤務
2008年
著者ジョセフB.ストラウスD.C.の本「カイロプラクティック哲学」を翻訳し出版
2010年
銀座へ治療室の移転

初めまして、シオカワグループ代表の塩川雅士です。塩川カイロプラクティックは、1972年に先代・塩川満章 D.C. により東京にて開業され、父の想いを受け継ぎ、日本のカイロプラクティック業界の発展を第一に考える、次世代のカイロプラクティック・リーダーの育成に励んでまいります。

私の想いは、1人でも多くの人にカイロプラクティックの持っている無限の価値を届けたい、1人1人の人生にとってカイロプラクティックが大切なものとなることです。そして全国で感謝、感動、希望にあふれる社会を実現することです。そためには、いち早く全国に信頼のできる優秀なカイロプラクターを輩出していかなければいけません。

シオカワグループでは、学び続ける姿勢を忘れない、常に高みを目指し、患者様のことを第一に考えるカイロプラクターを目指しております。また、サブラクセーションを基盤とした科学的な検査システムの導入し、結果にコミットするカイロプラクターのグループとなります。

シオカワグループの祖
塩川満章D.C.

塩川満章D.C.
1947年
鹿児島県生まれ。
1972年
米国パーマー大学卒業。卒業後ベネズエラに渡り、カイロプラクティック・クリニックをベネズエラで初めて設立、将軍・国会議員に認められ、私設外交官として第一人者の地位を確立。その後、日本へ帰りカイロプラクティック・クリニック、カイロプラクティック・スクールを設立し、日本のカイロプラクティックの発展に貢献する。また、ブラジルにもカイロプラクティック・クリニックを設立し、その発展に大いに貢献したことから「大十字賞」を受賞する。
1987年
ソウル・アジア大会にカイロプラクターとして、選手団の治療に関与、それに対してI.C.A(インターナショナル・カイロプラクティック・アソシエイション)から表彰される。
1992年
バルセロナオリンピック・オマーン国公式カイロプラクターを務める。

“The power made the body,
heal the body”
“あなたの体を作った力が、病気を治す”

カイロプラクターとして
半世紀以上の人生が教えてくれたこと

私がカイロプラクターを志して56年。その間アメリカで開催されたいろいろなセミナーに出席しては、カイロプラクティックの知識や技術の向上に努めてきました。

その経験を元に私は、1つの結論にたどり着きました。カイロプラクティックの神髄は、患者のサブラクセーションとカンパンセイションを区別し、サブラクセーションのみを最高なカイロプラクティックのテクニックでアジャストメントすることである。それによってのみ患者の問題を取り除くことができると私は信じています。

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