体を信じる文化が、社会の中で失われていった理由
体を信じる文化は、なぜ今まで育たなかったのか
私たちはこれまで、無意識のうちに「体は管理するもの」、「健康はコントロールするもの」という前提の中で生きてきました。
数値で示せるか。
結果が見えるか。
想定どおりに反応するか。
それらは決して悪いものではありません。医療や社会の進歩を支えてきた、大切な視点でもあります。
けれど同時に、体を“信頼する存在”として見る感覚を、少しずつ遠ざけてきたのも事実です。
気づけば体は、自分の一部でありながら、どこか「信用しきれない存在」になっていきました。
管理できないものを、私たちは不安と呼んできた
体を信じる文化が育たなかった背景には、不安を前提とした健康観があります。
予測できないものは怖い。
コントロールできないものは危険。
想定外の反応は、避けるべきもの。
こうした考え方は、体の本質と、とても相性が悪い。
体は本来、揺らぎながら整い、変化しながら回復していく存在です。
にもかかわらず、私たちはその揺らぎを「異常」として扱うようになりました。
その結果、体の声に耳を傾ける前に、「早く戻さなければ」「この反応は抑えるべきだ」という判断が先に立つようになったのです。
体を信じる代わりに、外に答えを探してきた
体を信じることが難しくなると、人は自然と外側に答えを求めます。
専門家や権威のある人の意見。
基準値。
周囲の同意(大多数)。
それらは、確かに助けになります。現場に立つ者としても、その価値はよく分かります。
しかし、それだけに頼る時間が長くなるほど、自分自身の感覚は、使われなくなっていく。
「自分の体がどう感じているか」よりも、「どう評価されるか」が先に来る。
体を信じる力は、失われたのではありません。ただ、使われなくなっていっただけなのです。
体を信じるということは、甘さではない
ここは、誤解されやすいところかもしれません。
体を信じるというと、何もしないこと、放っておくこと、現実から目を背けることだと受け取られることがあります。
けれど、それは違います。
体を信じるとは、体の働きを理解し、回復のプロセスを尊重し、必要なケアと調整を、丁寧に重ねていくこと。
そこには、管理よりも深い関与があり、制御よりも成熟した判断があります。
体を信じるとは、体と対話しながら生きるという選択なのだと思います。
ここから、静かに決別する
インサイドアウト健康文化は、これまでの健康観を否定しようとはしていません。
管理が必要な場面もある。外の知恵が役立つこともある。
その上で、それだけに頼り続ける文化から、一歩距離を取る。
不安を前提にするのではなく、信頼を土台にする。
制御を中心に置くのではなく、成長と回復の力を中心に置く。
その小さな転換が、体を信じる文化の始まりになります。
最後に
体を信じる文化が育たなかったのは、私たちが弱かったからではありません。そういう前提の社会の中で、生きてきただけです。
だから今、その前提を疑い、別の視点に立ち直ることができます。
体は、管理しなければ壊れる存在ではありません。不安を与えなければ動かない存在でもありません。
体は、信頼されることで、本来の働きを取り戻していきます。
インサイドアウト健康文化とは、体を信じる勇気を、もう一度、日常に取り戻す試みです。
そしてそれは、健康だけでなく、生き方そのものを静かに変えていきます。

執筆者塩川カイロプラクティック塩川 雅士D.C.
1980年、東京都生まれ。17才で渡米後、2004年パーマーカイロプラクティック大学を優等で卒業。D.C.の称号取得。米国ナショナルボード合格。日本カイロプラクティックリサーチ協会(JCRA)役員。2005年からカイロプラクターを育成する学校の運営と講師に携わり、現在、年間約300時間の講義やセミナーなどの活動を全国で精力的に行っている。