腰が痛くない日が一度もなかった状況が一変
中学時代からバレーボールを競技レベルでやり、その中で腰を痛める。16才で椎間板ヘルニアと診断され、その際は保存療法で対処する。現在は脊椎管狭窄症と診断され、鎮痛剤のお陰で生活しているような状態となってしまっている。1日に3回服用するほどであり、薬がない環境は考えられず、飲み忘れた時は激痛に襲われる。腰が痛くない日はないという程。同時に、左の股関節が痛み始め、左足首に至っては病院で人工関節を勧めらるような状態まで悪化している。
会社は仕事が落ち着き始め、好きなゴルフを満喫するつもりが、なかなか治らない腰痛に飽き飽きしていた。
毎日痛み止めを飲むような生活、将来人工関節になることなどに不安を抱くようになり、治療法をネットで調べているうちに、当院を知り来院を決意する。
左の脊柱起立筋の過緊張
腰椎周囲の体毛が多い
歩行時左足をひきずっている
左胸鎖乳突筋の緊張
腰椎、頚椎ともに椎間板はD5~6とかなり慢性化が進んでいることが確認できるため、初期集中期では週に3回はケアをしていきたい旨をお伝えする。遠方にお住まいで、仕事帰りにしか来ることができないということもあり、まずは週1回のケアでケアを開始した。
3回目のケア(初診から3週目)では、アジャストメント後は歩くのが楽になる感覚があるとのことであった。腰に関しては大きな変化は患者さまの初見としてはない。股関節も同様。術者目線で言えば、仙腸関節に多少動きが出てきているといった所感である。
9回目のケア(初診から9週目)では、アジャストメント後に歩くのが楽になる期間が、以前までは当日中あるいは翌日までであったが、3〜5日は安定してくるようになったとのこと。骨盤部のブレイクも少し落ち着きを見せ始めている。
他の観点で言えば、左の胸鎖乳突筋の緊張が少なくなってきていた。
またこの段階で足底に痛みが出るようになってきた。
12回目のケア(初診から14週目)では、前回から腰椎5番と頚椎7番のアジャストメントに切り替えていた。左の足底の痛みはかなり軽減しており、腰に関しても1週間は持つようになってきた。また以前より一番気になっていた左の股関節は可動性に関しては幾分問題なく、痛みに関しても徐々に引いてきている感覚があったそう。腰椎5番のブレイクは初診時よりは落ち着いているが、まだ残存。
16回目のケア(初診から19週目)では、腰はかなり良くなってきているとのこと。先日ゴルフに行った際は、いままでカートでの移動で歩きながらのプレーが難しかったが、カートは利用せず1日楽しむことができたとお喜びであった。股関節に関しては、日によるが気にならない日が多くなってきていた。腰椎のブレイクはかなり少なくなってきているがまだ残存している。皮膚の乾燥状態はかなり改善傾向にあり、上下の皮膚と比較しても大差がない状態である。
本症例では、バレーボールや長年のデスクワークの負担が骨盤や腰の骨に負担をかけたことで起こった問題だと考えられます。
16歳の頃より腰椎椎間板ヘルニアと診断されており、その状態を保存療法で放置したままにしたことで、椎間板への負担は日に日に増していき、現状になってしまったわけです。
特に今回は左の骨盤に問題があり、それが腰、股関節へと波及していきました。
股関節の痛みが出現している場所は股関節の後面であり、それは腰椎5番と深く関係しています。ですがそれは骨盤からの影響だと考えられます。
実際、左の骨盤の神経圧迫が寛解してくると同時に、腰の具合も落ち着いてきて、腰の動きも徐々に出てきました。その後、腰椎へのアプローチに移行することで、患者様の負担を少なく、かつ効果的に腰の神経圧迫も取り除くことが可能になったと考察できます。
また、左の足裏が途中痛くなったのは骨盤の可動性が出てきたことで、骨盤周囲の筋肉の使い方などにも変化が出てきたことから、一時的に足底に負担がかかってしまったと言えますが、土台である骨盤が安定している分、すぐに回復していきました。
本症例のように、股関節後面の痛みであれば股関節が、腰が痛いから腰を、といった形で、すぐに症状とアプローチ部位を直結させるのではなく、何が原因でそのような結果を招いてしまったのかを考察する必要があります。そうすることでより自然な回復をしていくことが可能になると言えます。
患者様の症状に関する情報は、問題の特定に必須ですし、そこに対して全力で向き合う必要があります。ただそれ以上に、それがなぜ起こってしまったのかを、患者様と一緒に見つけていき、それを取り除くことが重要なのです。今回のケースでは、土台の骨盤が不安定だったことによって、腰椎にも負担がかかった例でりました。その原因は、普段の座り姿勢や過去のバレーボールでの負担、ゴルフをしてもクールダウンをしなかったなど、多岐にわたります。
そのようなことを患者様とご一緒に考えることで、協力体制で状態が寛解していった良い症例でありました。
執筆者NEOCHI関野 貴友
1999年、大阪府生まれ。19才より東海大学トレーナー専攻及び東京衛生専門学校のダブルスクールを行い、共に優等で卒業。鍼灸あん摩マッサージ指圧師を取得。のちに睡眠専門治療室NEOCHIを開業。2023年よりシオカワスクールのインストラクターを務め後進の育成にも力を入れている。