
また和太鼓を全力で叩けるようになった!
定年退職を迎えたとき、これまで仕事一筋で走り続けてきた日々がふと止まり、胸の奥にぽっかりと空いた時間の穴を感じた。「これからの人生を、どうやって過ごそうか」。自由な時間を得たはずなのに、その使い道が見えず、ただ日常が流れていった。
そんなある日、地域の文化イベントで偶然耳にしたのが、和太鼓の力強い響きだった。腹の底まで響き渡る低音と、全身で打ち鳴らす打ち手の迫力に圧倒され、胸が熱くなった。「自分もこの舞台に立ちたい」。その衝動は抑えられず、気づけば和太鼓教室の門を叩いていた。
稽古は想像以上に厳しかったが、バチを振り下ろすたびに心も体も解放され、週5日以上の稽古に夢中で打ち込んだ。仲間と音を合わせ、舞台で一体となる瞬間は何ものにも代えがたい喜びだった。
ある日ふと、バチを握る手に違和感を覚えた。右手でリズムに合わせて振り下ろす瞬間に、小指側から力が抜ける感覚があり、やがて左手にも同じ症状が出てきた。
痛みはなかったが、両手のひらがじんわりと痺れ始め、その痺れは日に日に強くなった。特に小指側に集中するため、和太鼓に欠かせないバチの支えが不安定になり、打ち込みの精度が落ちていった。
痺れが怖くなり整形外科を受診すると、「首の問題かもしれない」と言われレントゲンを撮ったが異常は見つからず、神経の回復を促すビタミン剤だけが処方された。服用を続けたものの症状は改善せず、むしろ両肩や両肘、両手首の痛みまで加わった。握りたいのに力が入らない。そのもどかしさは日を追うごとに増していった。
さらに追い打ちをかけるように、練習中にぎっくり腰を発症。腰に走った激痛は動くたびに冷や汗をにじませ、30年来の腰痛の中でも今回の痛みは格別だった。いつもなら1週間程度で落ち着くはずが、1か月経っても強い痛みが残った。
ようやく見つけた老後の生きがいが、このままでは続けられなくなる。仲間との時間や舞台に立つ喜びを失いたくない一心で、複数の治療院を回ったが、はっきりした改善は感じられなかった。
そんなとき、息子から「腰も手の痺れもきっと良くなるから行ってみな」と前田カイロプラクティック藤沢院を勧められた。これまでカイロプラクティックには半信半疑だったが、調べてみると同じような症状が改善した事例が数多く見つかった。
「ここならまだ間に合うかもしれない」。和太鼓を諦めたくないという強い思いを胸に、期待を込めて当院に来院された。
頸部から両肩への過緊張
左仙骨翼にスポンジ状の浮腫
腰部起立筋の過緊張
初診時の状態では、左の仙腸関節と下部頸椎には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と隆椎周辺に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また隆椎周辺と左仙骨翼に強い浮腫が確認され、頚部から両肩にかけてと腰部起立筋は過緊張の状態であった。
レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きや前弯カーブ(前カーブ)の消失が確認された。首の椎間板の段階はD4からD5レベルにう移行する慢性的な確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。
初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週2回のケアから開始した。
3週目(4回目のアジャストメント)には、1か月以上続いていた激しい腰痛は軽減され、日常生活ではほとんど違和感はなくなった。
7週目(10回目のアジャストメント)には、両肩、両肘、両手首の痛みも軽減され、痺れも弱まってきている気がして和太鼓の練習に1度だけ参加したが、それほど違和感はなかった。この頃には、腰痛はすっかり解消され、和太鼓の練習後にも痛みを感じることはなかった。
11週目(14回目のアジャストメント)には、和太鼓の練習日を徐々に増やし、週3回の練習にした。練習後にごく軽い両手の痺れを感じることがあったが、すぐに消失していた。
17週目(18回目のアジャストメント)には、両手の痺れはまったく感じなくなり、バチを握る感覚もすっかり戻った。練習も元の週5日に戻し、全力で打ち込んでも痺れや痛みは一切出なくなった。
現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。
今回の和太鼓の演奏に支障をきたすほどの両手の痺れは、下部頸椎における神経圧迫が主な原因であったと考えられる。
人間の神経症状は、「正常 → 痛み → 痺れ → 麻痺」という順序で進行していく。痛みは神経への刺激や炎症反応が比較的初期段階で現れるサインであるのに対し、痺れはそれより一段階進行した状態であり、神経の伝達機能がより強く障害されていることを意味している。
下部頸椎から両手に向かう神経は、途中で分岐しながら両肩、両肘、両手首、そして手のひらの感覚や運動を支配している。今回のケースでは特に小指側に強い痺れが出ており、これは尺骨神経領域に一致している。
和太鼓のバチは小指側でしっかりと支える必要があるため、この部位の感覚障害は握力や演奏精度に直結し、演奏そのものを不可能にしかねない深刻な状態だったといえる。
加えて、患者には30年以上続く腰痛の既往があった。その根本原因は骨盤部の不均衡にあると考えられる。
骨盤には左右に仙腸関節があり、本来は歩行や姿勢保持の際に左右が協調して微細に動くことで衝撃を分散させている。
人間の体には補正作用があるため、一方の仙腸関節の可動域が制限されると、反対側が過剰に動くようになる。この状態で日常生活を続けると、歩くたびに片側だけが大きく振れる不均衡な動作パターンが定着してしまう。
椎間板は骨と骨の間で衝撃を吸収するクッションの役割を担うが、構造的に捻じれる動作に弱い。歩行時に片側の骨盤だけが過剰に振れる状態が長年続くと、腰椎の椎間板には慢性的な捻じれストレスが加わり、その厚みが徐々に減少していく。
椎間板の状態は6段階で評価されるが、今回の患者は最も進行した第6段階に相当する状態であり、長期にわたって腰部の神経に負荷がかかっていたと考えられる。
アジャストメントによって、下部頸椎および骨盤部のサブラクセーション(根本原因)が改善され、脳から四肢末端までの神経伝達が回復したことで、両手の痺れと全身の痛みが大きく改善したと考えられる。
30年以上続いた腰痛も解消したことから、あらためて神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
執筆者前田カイロプラクティック藤沢院前田 一真
1982年、神奈川県生まれ。シオカワスクール在学中から塩川カイロプラクティックにて内弟子として学ぶ。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。2023年に前田カイロプラクティック藤沢院を開院。一人でも多くの人にカイロプラクティックの持つ無限の価値を知っていただくため、カイロプラクターとして尽力している。またシオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。