シオカワグループ シオカワグループ

ブロック注射でも改善しない坐骨神経痛

ブロック注射でも改善しない坐骨神経痛

ブロック注射などで治療を始めたが、一向に改善することはなかった

60代男性
主訴
坐骨神経痛
来院に至った経緯

目の手術を受けた後、術後の回復過程において長時間うつ伏せの姿勢を続ける必要があった。その間は特に大きな問題を感じることはなかったが、目の状態が改善し、仰向けで寝ることができるようになった途端、突然腰に激しい痛みが走った。今まで経験したことのない鋭い痛みであり、動くことすら困難な状態であったため、不安を感じ整形外科を受診。MRIやレントゲン検査を受けた結果、医師から脊柱管狭窄症と坐骨神経痛の診断を受けた。

診断後、鎮痛剤の服用やブロック注射による治療を開始したものの、期待したような改善は見られなかった。日常生活を送る上での痛みは一向に引かず、次第に「このまま痛みと付き合っていくしかないのか」という不安を抱えるようになった。その後、医師の判断でさらに強い鎮痛効果のある座薬が処方され、一時的には痛みが和らいだものの、強い副作用としてひどい便秘に悩まされるようになった。

座薬を使用すれば痛みは軽減されるが、使用しないと再び強い痛みに襲われるという状態が続き、次第にどのような姿勢をとっても激痛が走るようになった。特に夜間は痛みが増し、まともに寝ることもできず、疲労が蓄積していった。日常生活はもちろんのこと、睡眠すらままならない状況にまで悪化したため、「このままでは生活の質が著しく低下してしまう」と感じるようになり、他の治療法を探し始めた。

そんな折、友人から塩川カイロプラクティック治療室のことを紹介され、これまでとは異なるアプローチで根本的な改善が期待できるのではないかと考え、来院に至った。

初診の状態
  • 01

    両臀部の硬直と痛み

  • 02

    左腰部起立筋の膨隆

  • 03

    腰部の可動域制限

経過と内容

レントゲンの評価から、腰椎5番の椎間板がD6レベルの状態であり、患者さんの状態を考えたうえで初期集中期(初診日から1ヶ月)を週2回のケアを始めることになった。

当初は、激痛で塩川カイロプラクティック治療室に通院するのが大変であったが、ケアを始めて2ヶ月後(14回目のアジャスト)には、痛みの質や強さが変化し始め、睡眠もできるようになってきた。身体の状態が改善方向に向かい、アジャストメントの保持が可能になったため、週1回のケアに移行した。

ケアの間隔を広げていくと同時に、長時間の同一姿勢や日常生活で腰に負荷をかけると左腰部起立筋の緊張が確認さ、疼痛も現れることもあったが、改善方向に向かっていった。ケアを始めて3ヶ月後(18回目のアジャスト)には、腰部の緊張も緩和され月3回のケアに移行し、徐々にケアの間隔を広げていった。現在では、月1回のメンテナンスを行っている。


考察

腰椎5番の椎間板がD6レベルと慢性化し、椎間板の変性が慢性化し最終ステージの状態であった。この段階では、サブラクセーションが最低でも15年以上放置されている状態であるため、腰部の筋を硬直させ必死で身体を守っていた。

入院時の長時間の同一姿勢によって腰に負荷がかかり、腰の限界を越え発症したと考えられる。初診時では、左腰部起立筋の硬直と膨隆が確認され、骨盤部のサブラクセーションによって、常に左右の骨盤のバランスの乱れが生じ、歩行時に腰部の椎間板に余計なねじれなどの悪影響を及ぼしていたと考えられます。

また、サブラクセーションによって脳が腰部や骨盤部の状態を把握できない状態が続くことで、休息をしても一向に改善する事はなく、負担が蓄積されて行ったと考えられる。骨盤部に対してのアジャストメントを行ったことによって、正常な可動性が復元し、筋の緊張も解消され、神経伝達が正常に行われたことによって疼痛の改善につながった。

今回のケースは、椎間板のステージが最終段階であり、慢性化していたための改善に向かう時間はかかったが、最初のつらい時期に頑張って塩川カイロプラクティック治療室に通院したことが結果に繋がった。

塩川 雅士D.C.

執筆者塩川カイロプラクティック治療室塩川 雅士D.C.

1980年、東京都生まれ。17才で渡米後、2004年パーマーカイロプラクティック大学を優等で卒業。D.C.の称号取得。米国ナショナルボード合格。日本カイロプラクティックリサーチ協会(JCRA)役員。2005年からカイロプラクターを育成する学校の運営と講師に携わり、現在、年間約300時間の講義やセミナーなどの活動を全国で精力的に行っている。

pagetop