世界各国を巡って その2
私は世界中を旅して友人を訪問する。
南米のブラジル、ベネズエラにはよく行った。キューバにも2回ほど訪問した。キューバのハバナは私が好きな場所のひとつである。1回目はベネズエラのカラカスから、2回目はメキシコのカンクーンから飛んだ。
ここの国立病院の院長とは友人になった。思い出深いのはヘミングウェイとカストロがよく食事をしたり、ラム酒を飲んだりしたフロリリタというレストランである。ロマンチストなキューバ人は夕食の時にギターを弾きながらロマンチックな歌を歌ってくれる。「キサス・キサス・キサス」(「いつ、どこで、どうして…と僕はいつも君に尋ねる。すると君はいつもこう答えるんだ。多分、多分、多分ね…と」という歌詞で有名)やクアンタラメラなどキューバ音楽には名曲が多い。
一歩外に出れば1960年代のアメリカ車が走っている。私がアメリカに留学していたころの1968年ごろの車である。私はふと、留学時代に250ドルで買った1962年型のイエローサンダバードを思い出した。
この車はよく友人の注意を引いた。私はこの車の外側の天井を壁紙に使うイエローの色にした。そういう昔の車がこのハバナの町に走っている。まるで昔にタイムスリップしたような気分である。
キューバの国民はみな陽気である。私の東京のオフィスにはキューバで有名な音楽家たちが良く訪れる。ベネズエラ大使館はもとより、ペルー、コロンビア、スイス、イランなどの大使、あるいはそこで勤めている人たちがカイロプラクティックの矯正を受けに来て友人も紹介してくれる。
私はカイロプラクターになって多くの人と知り合い、友人もできた。
国境を越えた付き合いを出来るのがカイロプラクティックである。またカイロプラクティックという職業を通して世界中に友人を作ることができた。
一度、こういうことがあった。
ベネズエラの有名なコメディアンが来日した時のことである。彼を招待した日本の商社の社長が「日本に行ったらドクターシオカワに会いなさい」と言ったので、彼はどうしても私に会わなければいけないと思ったそうである。後に、彼とは友達になり、カラカスの首都警察長官が私に勲章を与えたいということで彼も一緒に来てくれたことがある。
後に彼は政治家を志して大統領選に立候補したが落選してしまった。私とベネズエラの関係はとても深く、いつか大統領が来日した時に、護衛の将軍であったカルロスギップスは迎賓館に連れて行ってくれた。
私がベネズエラを訪れた時には、彼の別荘に招待してくれ、クルーザーでカリブ海のクルージングを楽しんだことがある。また、当時の官房長官はわざわざ彼の海辺の家を開放してくれて、私たち日本人のために食事会を開いてくださった。
私のベネズエラでの一番の思い出はなんと言っても国軍のテソレロ将軍である。将軍は私を大統領のテーラーに連れて行ってくれイタリアンのすばらしいスーツをプレゼントしてくれた。私のベネズエラの友人のルイスバレラ家はとても由緒ある家系である。父親はベネズエラ航空の副社長で、そのお兄さんはベネズエラで一番大きなピーナツ会社のオーナーである。この2人は私をとても大切にしてくれた。
ルイスの父親はフリーメイソンの大幹部でもあった。メキシコのカルロスもまた私たちの友人の1人である。私がメキシコを訪れた時にカルロスはメキシコで最も高級なレストランに連れて行ってくれた。私はネクタイをしていなかったのですぐにネクタイを買いに行った。ネクタイを締めて、その有名なレストランに行くと、それぞれのテーブルにウェイターが付いた。メキシコ料理にこんなに美味しいものがあることを、そのとき初めて知った。
カルロスは2代目カイロプラクターである。3代目もカイロプラクティック大学を卒業して一緒に開業している。