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世界のカイロプラクター その5

ドクター・シッド・ウイリアムスは、現在のライフカイロプラクティック大学を設立した先生である。大学の花形スポーツであるフットボールのプレイヤーであったドクター・シッド・ウイリアムスはカイロプラクティックに興味を抱き、パーマー大学に入学した。そして、そこで、BJ哲学に心酔した。

BJ亡き後は、ドクター・クレイ・トムソンを尊敬し、ドクター・トムソンの孫娘のべスに奨学金を与え、ライフカイロプラクティック大学に通わせた。ベスは、私が日本からカイロプラクターを連れて、ライフカイロプラクティック大学の解剖学実習に行くたびに挨拶に来た。

1989年には、ライフカイロプラクティック大学主催でドクター・クレイ・トムソンの80歳の誕生会が開催された。約1,000名のカイロプラクターが招かれた。私は、そのメインスピーカーとして「ドクター・クレイ・トムソンと私」という題目で講演した。

ドクター・シッド・ウイリアムスはなぜか私を可愛がってくれ、私をライフカイロプラクティック大学のVIPメンバーにしてくれた。私が飛行場からバスでライフカイロプラクティック大学の近くのバス停に行くと、学長であるドクター・シッド・ウイリアムス自ら車で迎えに来てくれたこともある。

日本から団体でカイロプラクターを連れて行くと、わざわざ昼食会を開催してくれた時もあった。後にサラソタにあるBJのサマーホームをライフカイロプラクティック大学で購入した時には、その隣の家を自分で買い、サマーホームにした。私はこのサラソタの町がとても気に入り、何度となく訪れた。別名サーカスの町として有名になったこの町は、フロリダでも私のとても好きな所である。

▲ドクター・トムソンの誕生会で講演を行う塩川満章D.C.

私がまだパーマー大学の学生だった頃、大学の近くのアパートに引っ越した時に、ドクター・マイラン・ブラウン(シャーマン大学前副学長)と出会った。当時、彼は私よりも2年後輩で、ニュージャージー州から友人のジーン・ジョホダと共にカイロプラクターになるために来ていた。マイランはユダヤ系の移民であった。

ジーンはハンガリー系の移民であった。ハンガリーにいた頃には、わずか10歳でありながら銃を持って革命のために戦ったそうである。後にジーンはパーマー大学を辞めて、好きなコンピューターの道に進んだ。彼とは再び会うことは無かった。

一方のマイランは家族ぐるみで付き合うようになり、私の卒業式には彼の両親がわざわざニュージャージーから来てくれた。彼の父は有名な音楽家で、とても高価なバイオリンを持っていた。マイランがその価値が1,000万円以上もすると知ったのはずっと後のことであった。

マイランとジーンは2人とも私の柔道の生徒になった。当時、女子高生で私の生徒だったドイツ系のシャーリーンをジーンに紹介したが、シャーリーンは彼のことが気に入らず、マイランを選んだ。後に、シャーリーンの農場の庭で2人は結婚式を挙げた。

▲塩川満章D.C.(左から2番目)とマイラン・ブラウン(右端)

マイランはパーマー大学を卒業するやBJリサーチクリニックの主任をしていたドクター・シャーマンのところで助手として働くことになった。そこで初めてBJパーマーのテクニックが、私たちがパーマー大学で学んだテクニックとは違う、オリジナルなテクニックではないことがわかった。

BJパーマーが行っていたテクニックは上部頚椎バイオメカニックターグルリコイルテクニックとしてドクター・ケイルが引き継いでいることがわかった。私がドクター・ケイルに日本でセミナーをしてもらうことを依頼したら快く承諾してもらえた。

その後、サンフランシスコのドクター・アマルがモダンな上部頚椎バイオメカニック協会を設立してセミナーを開いていることを聞き、ドクター・マイラン・ブラウンと一緒にドクター・アマルがいるサンフランシスコに行った。私はドクター・アマルの上部頚椎に対する理論に感銘して、それから毎月1週間ずつ6ヶ月間通った。

ドクター・マイラン・ブラウンから、BJパーマーがどのようなテクニックを使ってBJリサーチクリニックでカイロプラクティックの効果を実証していたのかはある程度聞いていた。しかし、これほどまですばらしいテクニックであることはドクター・アマルに会うまでは理解することができなかった。

私はこのテクニックを勉強したいと思い、サンフランシスコのレッドウッドシティにあるドクター・アマルのクリニックで学ぶことにした。

セミナーは1ヵ月に1週間あり、3ヶ月で1つのコースとなっていた。私は、一度、コースを通して受けた後、さらに、3ヵ月後に3ヶ月間同じコースを受けることにした。計6ヶ月間日本からサンフランシスコまで通ったことになる。

セミナーが始まる前日は、1日中ドクター・アマルのクリニックを見学した。上部頚椎を正確に矯正すると、さまざまな奇跡と思われることが起こるとわかったのは、ドクター・アマルのコンピューターサーモグラフィーを使ってサブラクセイション(神経圧迫)の有無を確かめながら矯正を行う姿勢を見たからである。

神経圧迫が起こると、脊椎の可動域の低下により、多くの窒素化合物が蓄積して人間の脳の中に存在しているイネイト・インテリジェンス(治る力)に体の中に起こっている異常が正確に神経組織を介して伝達されない。正確な矯正により、大きな矯正音がするが、それは関節の中にある異常な窒素化合物の消失という現象によって起こる音である。その音がすると、再度正しい情報が脳に伝達され、私たちの体を正常にするわけである。

私たちカイロプラクターが治すのではなく、患者自身の中にあるイネイト・インテリジェンスが病気を治すわけである。これらのことを詳しく研究されたドクター・アマルのカイロプラクティックへの姿勢に感銘を受けた。私は毎年ドクター・アマルのクリニックに見学を兼ねてセミナーに出席した。

▲ドクター・アマル(写真右)とともに

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