ドクター・クリアランス・ガンステッドとガンステッドテクニック
私は、ガンステッドテクニックをメインとして、患者によってはトムソンテクニックを使っている。私とガンステッドテクニックとの出会いは、私がパーマー大学に入学した時であった。最初に学んだテクニックが、ターグルリコイルテクニックとガンステッドテクニックであった。いろいろなテクニックを学んだが、ガンステッドテクニックが私には一番適していると感じられた。
ガンステッドテクニックは、ドクター・クリアランス・ガンステッドによって創始された。彼は家族とともにノルウェーからサウスダコタに移民としてやってきた。もともと彼の家はハーバーソン(港の息子)という姓であった。彼らの親戚もまた数多く移民してきたため、たびたび郵便物が間違って届いてしまうことがあった。
そこで、ハーバーソン家は、ノルウェーの有名なグンステッド牧場から名前をとり、さらにグンステッドを英語風に直してガンステッドという姓を名乗った。その後、ガンステッド家はウィスコン州のマウントハーブに移り、農場を経営するようになった。
ガンステッド家には、息子が2人おり、兄がドクター・クリアランス・ガンステッドで、弟がドクター・マートン・ガンステッドであった。2人ともリウマチ性関節炎を患っていたが、カイロプラクティックによって救われたことがきっかけで、ともにパーマー大学で入学し、カイロプラクティックを学んだ。
ドクター・クリアランス・ガンステッドはパーマー大学を卒業すると、故郷のマウントハーブに帰り、開業した。そこで、独自のガンステッドテクニックを編み出した。朝早くから夜遅くまで開業し、考えることはカイロプラクティックのことばかりで、毎日その日の患者のレントゲン写真を見直して治らない患者がいると徹底的にその原因を追究した。そのために、朝起きた同じ日に寝ることはほとんど無かった。
1964年にわずか人口3000人の小さな町で、ホテル、レストランを有し、待合室には100名の患者が座れる巨大なガンステッドクリニックを作った。ガンステッドクリニック創設以来、ドクター・クリアランス・ガンステッドが亡くなる14年間は世界中から患者が集まってきていた。私が1968年にパーマー大学に留学した時には、もうすでにその存在は大学の中で偉大なものになっていた。
ガンステッドテクニックを初めて学んだ時に、そのテクニックに魅力を感じ、当時のテクニックの先生であったドクター・トラキセルに弟子入りした。学生は治療費が無料であったために、先生のクリニックにせっせと通った。
そのために、先生は私を特別にかわいがってくれた。その時に、ノルウェーから来ていたトムビやフレンチカナディアンのロン・ディオットなど多くのガンステッドテクニックを勉強していた友人に出会った。
ラリー・ウィルソンは奥さんがネイティブアメリカンの末裔で、よく私を夕食に招待してくれた。ラリーは昔日本に駐留していたアメリカ兵で、片言の日本語を話した。彼らはみなガンステッドテクニックのみをマスターするために、毎月マウントハーブで行われていたクリアランス・ガンステッドのセミナーに出席していた。
特にパーマー大学でガンステッドテクニックを教えていたラリー・トラキセルは、ガンステッド先生を尊敬していた。ガンステッド先生も、彼をドクターティーと呼んでとてもかわいがっていた。ドクター・ガンステッド亡き後、トラキセルはガンステッド・メソロジーという独自の組織を作っていった。
パーマー大学の学生は、インターンとしてトラキセルクリニックに入るのに行列をなした。そのトラキセルも今は亡くなったが、日本にも多数来日してくれてガンステッドテクニックの普及に努めてくれた。私の日本橋のオフイスで、2人で多くの患者を診たのがとても懐かしく思える。
ドクター・ディオットはカナダで開業していたが、ドクター・トラキセルの要請でカナダのクリニックを閉めて、トラキセルの片腕になり、ガンステッドメソロジーの理事長として活躍した。後にドクター・ディオットは、ガンステッドセミナー50回分の資料をまとめて私に進呈してくれた。
ドクター・トラキセルはシボレーのコルベットの収集家で、多くのアンティーク車を持っていた。私が学生だった頃、ドクター・トラキセルはすべての収入をガンステッドセミナーに使っていたために、おんぼろワーゲンを運転していたのをよく覚えている。家庭的には結婚を3回しており、決して順調とは言えず、やはりカイロプラクターは仕事を理解してくれる妻が必要であると思ったことがある。2番目の奥さんはとても美人で、アメリカ映画の主演女優のような人であったが、子供に恵まれず、私たち3人で韓国の孤児院に行き、2人の子供を養子にした。
その2人の子供も今は30歳になろうとしている。3番目の奥さんは、南アフリカからきたカイロプラクターである。元夫がドクター・トラキセルと親しい友人であったために、南アフリカで開業していたご主人が亡くなってからデブンポートに来てドクター・トラキセルと再婚した。その時の娘を引き取り、パーマー大学に通わせた。その娘も卒業してガンステッドテクニックを専門で開業している。
考えてみると多くのガンステッドテクニックの臨床は、ドクター・ガンステッド自身の経験からくるものであり、科学的な根拠からきたものではない。それでもドクター・ガンステッドを崇拝するカイロプラクターは世界中に広まっていった。
ある時ドクター・トラキセルから電話が入った。
ガンステッドテクニックのチャプターの日本語版の版権をもらったほうがいいということで、翌日私はウィスカンソン州のマウントハーブに飛んだ。ドクター・ガンステッドの親戚のロバート・ガンステッド氏に会い、日本語の出版の版権を獲得するために、クリアランスガンステッド・ファンデーション・インク(C.S.GONSTEADFUNDATIONINC)に内金として5,000ドル支払った。
契約で、年2回の支払いが義務づけられた。私は1991年以来18年間クリアランスガンステッド・ファンデーション・インクから信頼を得ている。これはひとえに、私のガンステッドテクニックの恩師であるドクター・トラキセルのおかげである。
私はガンステッドテクニックを基礎として色々なテクニックを学んだ。西にすばらしい先生がいると知ると、そのテクニックを学びに行った。東にすばらしい先生がいると、その先生の知っている限りのことを学んだ。結論は、やはり脊椎複合サブラクセイションの矯正である。
患者が先生であり、患者から学ぶことの大切さを今40年間のカイロプラクティックの経験から確信に変わった。人間が抱えているすべての症状は、人間の体の中に起こるサブラクセイション(神経圧迫)が原因である。それを取り除くことができるのは、哲学・科学・芸術をマスターしたカイロプラクターのみである。
カイロプラクターは真剣にサブラクセイションを見つけ、その箇所を熟練したテクニックで矯正し、患者が持っている自然治癒力にゆだねるべきである。どんなカイロプラクターも人間の持っているこの治癒力を知ることはできない。私たちカイロプラクターができるのは、経験によりどのくらいで症状が消えるのかを推測することである。
患者の「私は治りますか?」という質問に、一番的確に答えられるのは患者自身が持っている治る力のみである。生きている限り、患者はこの力を信じなければならない。私たち人間の治癒力は、全身に張り巡らされている神経組織を通して私たちの身体の状態を絶えず監視している。
どこかに異常があると、瞬時にして脳の中にある治癒力に連絡して、そこを正常にする。この治癒力は、病気の人も健康な人もみな平等に持っている。その力が100%発揮できるか否かは、脊椎複合サブラクセイションの有無にかかっている。
私たちは常に信頼のおけるカイロプラクターに検査してもらわない限り、自分の治癒力が100%発揮できているかどうかを知ることはできない。