カイロプラクティックを通じてできた世界の友人 その2
ドクター・エアハートは、全米でもっとも有名なレントゲン診断のセミナーを主催しているカイロプラクターである。私がジョージア州のアトランタに行く時には、決まって彼のロールスロイスで、しかも運転手の格好をして飛行場まで迎えに来てくれて、彼のすばらしい豪邸に泊めてくれる。しかも、夕食や朝食付きである。夕食の時には、彼ら2台のエクスカリバーというアンティークの車で乗っていく。
ドクター・エアハートのレントゲン診断学のセミナーには、毎回200~300人のカイロプラクターが出席する。
彼はウィスカンソン州での開業をやめて、気候の良いアトランタに移り、日曜日しか仕事をしないが、とても楽しい人生を夫婦で送っていた。そのドクター・エアハートもアフリカ旅行で蚊に刺されて原因不明の病気になってしまい、つい最近亡くなってしまった。
私が初めてドクター・エアハートのアトランタの家に招待されたのは、フロリダの学会の帰りに「私の家に来ないか」という誘いで行った時であったが、その後何回も行くことになった。
フロリダには私の学生時代の友人でライフ大学の理事をしていたユダヤ系のマイク・ネイティンソンがいる。ウェストパームというアメリカの金持ちの別荘があるところである。2人で、ドナルド・トランプの別荘を見に行ったが、それはとても大きくて決して日本では見られないほど立派な建物だった。
以前マイクのクリニックに、あの有名なドクター・クリアランス・ガンステッドが治療に訪れたそうである。マイクが彼のレントゲンを持っていると言ったので、そのレントゲンを私にくださいと言ったら、快くいいよといってくれたが、まだ私の手元には無いのでいつかとりに行こうと思っている。
▲ドクター・エアハートとともに
▲エクスカリバーをバックにドクター・エアハートと
▲エクスカリバーに乗り込む塩川満章D.C.
マイクは、このウェストパームビーチにクルーザーを持っていたので、マイアミの近くまで行くことにした。波が強く私は酔ってしまったので、途中で引き返してくれと言ってしまった。とにかくマイクとの3日間はとても楽しい思い出になった。
私のアメリカでの留学中には、多くのユダヤ人ととても仲良くなった。そのひとりがマイクである。なぜか日本人の私ととても気が合った。
その中でもシャーマンカイロプラクティック大学の副学長であったマイラン・ブラウンは実の兄弟以上の関係である。私の柔道の弟子でもあり、私のことをとても大切にしてくれた。特に彼の家族はニュージャージーから私のパーマー大学の卒業式に来てくれた。
マイランが1973年にパーマー大学を卒業するや、サウスカロライナにいるドクター・シャーマンの弟子になりたいと言ってきたのにはとても驚いた。それで、私もマイランがいるスパータンバーグに行くことにした。
そこには設立されたばかりのシャーマンカイロプラクティック大学があった。まだショッピングセンターの一室を借りての出発だった。このシャーマン大学はドクター・シャーマンを尊敬していたドクター・トム・ジェラルディーによって設立されたカイロプラクティックの大学である。
マイランは早速ドクター・トムを私に紹介してくれた。
▲左からトム・ジェラルディー、塩川満章D.C.、リッジー・ゴールド、マイラン・ブラウン
この町にはBJをとても尊敬し、しかもトムのライバルのドクター・ケイルがいる。ドクター・ケイルは、カイロプラクティックの病院を作った最初のドクターである。BJと同じようなクリニックを作り、しかも入院できる設備を作った。私とも友人になり、自宅に招待してくれたことがある。
パーマー大学があるデブンポートにヨーロッパの城をそのまま持ってきたジュマーズキャッスルというホテルがある。ドクター・ケイルはそのホテルをとても気に入り、すべての内装までまったく同じような家をこのスパータンバーグに作った。
しかも息子の名前もBJケイルである。私は彼と意気投合し、日本に呼んだことがある。彼はBJパーマーが編み出したニーチェスト・ボディドロップ・ターグルリコイルテクニックをとても愛していたカイロプラクターであったが、その彼も今ではいなくなってしまった。