カイロプラクティックを通じてできた世界の友人 その1
人生で一番楽しいことは、いろいろな人に出会うことである。ある人に出会い、またその人から紹介されて、いろいろな人に出会う。私はこのことを人間人類学と呼んでいる。
ある日、患者のOさんから電話が入り、今私の話題でにぎわっているから来ないかということであったが、残念ながら用事があったためにいけなかった。そこには前のゴールドマンサックス投信の社長であったYさんや他の私の患者が集まっていたということであった。全然違ったコネクションで私の治療室に訪れたのに、私の話題が出た時にはみな驚いたそうである。
Yさんが社長をしていたゴールドマンサックス投信には、私がパーマー大学に留学していた頃の副学長であったドクター・フログリーの息子であるクラークが副社長であり、FBIからヘッドハンティングされたそうである。
クラークはアメリカ大使館のFBI捜査官であったが、パーマー大学でカイロプラクティックを勉強していた時もあった。クラークの兄弟のほとんどはカイロプラクターである。クラークは今ニューヨークにあるドイツ銀行の役員をしているが、カイロプラクティックをとても信じていた。
私は一度、クラークが働いていたワシントンDCにあるFBIの本部を仕事で訪れたことがあるが、その時の警備の厳重さには驚かされた。トイレに行く時には、必ず誰かがついてきた。私たちは当時最先端を行っていたカラーファックスを売り込みに行った。
私のアメリカでのパートナーは脳外科医のアレンであった。アレンは私を彼の手術場に連れていき、見学させてくれたことがある。脳外科医が腰や首のヘルニアの手術をしていたが、とても簡単に行っていたので驚いたことを覚えている。
ロサンゼルスのテレビに出ると、早速あの有名な映画監督のスティーブン・スピルバーグから2台注文が入った。アレンは得意そうに私に電話してきた。アレンも同じユダヤ人の血が混じっているので、お互いに共感したのかもしれない。
その最先端のカラーファックスは1台500万円以上もする大変高価なものであったので、2台も注文するとはさすがは超有名な映画監督であるとただ驚くばかりであった。
私はふとその時にハリウッドスターになったスティーブン・セガールのことを思い出した。彼は日本にいる時にはまだ貧しくて、東京に来る時には上野あたりの安いホテルを捜し歩いたことを覚えている。
しかし、ハリウッドスターになるとベルエヤーに豪邸を購入した。私は2回ほど訪れたことがあるが、最初の再会はお互いに指をさし合い、お互いに年を取ったな、と言い合ったことを思い出す。
とにかくスティーブン・セガールの家での再会は感激的であった。このベルエアーには、多くのスターや成功した人たちが住んでいる。友人のデイビッド・ピックもここに住んでいる。彼の家に行くと、必ずハリウッドスターたちが行くレストランに招待してくれる。駐車場には超豪華な車が停まっており、チップも普通の何倍も払っている。案の定、中にはハリウッドのスターで映画に出てくる人たちが友人たちと食事していた。
私がデイビッドを訪問すると、ロデオドライブにあるお店に連れて行ってくれる。そこでワイシャツを作ってくれるが、いずれも高価なワイシャツのためにいつも断っているが、彼はそんなことはお構いなしにオーダーする。
その時に思い出すのは、私がベネズエラで開業していた頃のテソレロ将軍である。将軍も機会があるごとに、私を大統領も仕立ててもらっているイタリアンのテーラーに連れて行き、プレゼントしてくれた。とにかくVIPの余裕にはただ驚かされるばかりである。
▲ハリウッドスターになる前のスティーブン・セガール
▲スティーブン・セガールとともに
以前、ベネズエラの大統領の護衛であるカルロス・ギップ将軍が日本に来たことがあった。私は日本を知ってもらうために、迎賓館の宿泊をキャンセルしてもらってニューオータニに泊ってもらい、2日間日本を案内した。時間の取れる夕方のほんのひと時であったが、友達になることができた。
後にカルロス・ギップ将軍は、私をベネズエラの海に面した別荘に招待してくれ、自分のクルーザーでカリブ海を案内してくれた。
私はカイロプラクティックを通じて、世界中に友人を作ることができた。
このことは私の大きな財産である。
昔、私の恩師で親代わりであったドクター・クレイ・トムソンは私にこのような言葉を残してくださった。
「ミツ、この人生で一番大きな財産は片手の友人である。なかなか片手でも作ることはできない。人は自分に不利なことがあると去っていくものである」
「5つの収入の道を作りなさい。1つがだめでももう1つがある」
私はドクター・クレイ・トムソンのようなカイロプラクターに出会ったことが無い。あの有名なカイロプラクターであり、レントゲン学の専門家であったドクター・エアハートやライフ・カイロプラクティック大学を創設したドクター・シッド・ウイリアムスさえもドクター・クレイ・トムソンには一目置いていた。
私がクレイの家に行くと、決まって2人から電話が入った。私のこのような人脈のために、シッドは私をライフ・カイロプラクティック大学のVIP扱いにしてくれた。
▲ドクター・トムソン(左)と塩川満章D.C.