アメリカ留学記 その6
パーマー大学の学長であった3代目のドクター・デイビッド・パーマーはよく私を彼の家に招待して、夕食をご馳走してくださった。ドクター・ミラー教授は私のアパートに来ては、ドクター・パーマーの夕食の招待状を持ってきてくれた。
学長の家に行くと、黒人の使用人が夕食の準備をしてくれた。その間、私と学長、さらに学長夫人のドクター・アグネス・パーマーを交え、色々な会話に花を咲かせた。
夕食になると、現パーマー大学の理事長であるビッキー、そしてその姉のカニー、バニーの3人の娘達も一緒に夕食の食卓に集まり、パーマー家の家族と楽しい夕食を過ごすことができた。
夕食後、ドクター・パーマーはすぐに自分の寝室に行ったが、私はドクター・アグネスとB.J.パーマーについて夜遅くまで話が弾ませた。
ドクター・アグネスとドクター・デイビッドは同級生であったが、いくらデイビッドがデートに誘ってもそれに応じることはなかった。なぜなら当時のパーマー家の名前は絶大で、デイビッドはプレイボーイでならしていたからである。アグネスはそういうデイビッドを好きになれず、パーマー1の美女も心を動かすことはなかった。
2人が卒業した後も、デイビッドのアグネスへの思いはますます募るばかりであった。そして見かねたB.J.パーマーがペンシルバニアでのセミナーに来ていたアグネスに息子のデイビッドと結婚してくれるようにお願いしたので、B.J.を尊敬していたアグネスはとうとう断れなくなり、1つの条件を出した。
「もしデイビッドがプレイボーイ生活を止めれば」と。
そこでB.J.はアグネスに約束し、2人は結婚することとなった。結婚後、デイビッドは、アグネスに開業させなかったため、アグネスはカイロプラクティックの治療院を開業するライセンスを失った。
しかし、彼女は上部頚椎とB.J.哲学への夢は捨てなかった。そのために私がデイビッドの家を訪れるたびに、アグネスの研究の相手をしなければならなかった。
デイビッドが脳梗塞を患い、病院に一緒に行こうと誘われたが、私はベネズエラ行きの予約をしていたので実現できなかった。デイビッドが亡くなってからは、よくアグネスの素晴らしいB.J.スタイルのボディドロップターグルリコイルテクニックの矯正を彼女の家の地下室で受けた。
それは、私が卒業してからアグネスが亡くなるまで続いた。
アグネスは、レーガン元大統領とも親しくしていた。なぜならば、レーガンはB.J.パーマーが作ったラジオ局でアナウンサーとして働いていたからである。しかも、アグネスは、ピアノが弾ける上に、イタリアのミケランジェロ技法の彫刻でオスカー賞をもらったほどの腕前を持ち、まさにプロの彫刻の仕事ができた。
パーマー家の冬の別荘は、ネイプルに決まっていた。B.J.はサーカスの町フロリダのサラソタをこよなく愛していたが、デイビッドはなぜか、冬の別荘としてサラソタを選ばず、ネイプルを選んだ。
私が家族でネイプルのアグネスを訪れた時、彼女が、ホテル代がもったいないからと、彼女の別荘に泊めることを勧めてくれ、私の家族はアグネスとの素晴らしい時間を過ごすことができた。
私はB.J.の冬の別荘であるサラソタにも何度となく行った。私はネイプルよりも、どちらかというとサラソタの町の方が好きであった。B.J.の家からのサラソタ湾の風景はまた別格である。
私は、B.J.の寝室のベッドに横たわり、BJと会っているつもりでよく空想した。
B.J.は1961年にすでに亡くなっているが、私にはB.J.のカイロプラクティックへの情熱が伝わってきた。私がパーマー大学に入学したのは1968年だったので、B.J.に会うことはできなかったが、私のアメリカでの親代わりであった、ドクター・クレイ・トムソンを通してB.J.哲学に触れることができた。
このことは、私の一生の宝物となった。ここで、有名なB.J.語録を紹介したいと思う。
【B.J.語録】
1.まず大きなアイディアを持ちなさい、するとすべてがこれに続くことになるでしょう。
2.知識とは偉大な力である。
3.午前9時から午後5時までは普通の時間である。午後5時からは成功の時間である。
4.色々な状況に応じて、私達の態度は変化する、しかし原理原則は決して変化しない。
5.原理原則を持っている人は、人の長になれる。
6.正しいと思ったことは、ただ1人でもマジョリティである。間違ったことはたとえ何万人であろうともマイノリティである。
7.目には見えないところが見えるようにならなければ一流になれない。
8.自分に迷いが生じたときには基本に返ろう。
9.知識とは、真実を学ぶことであり、賢さとは、真実から何をすべきかを知ることである。
10.私達の体を作り上げた同じ力が病気を治す。私達の体の中には、偉大なる力のイネイト・インテリジェンス(持って生まれた治す力)が存在する。
11.男性細胞と女性細胞が結合して母体の中で280日かかって成長し、そして人間に必要な組織細胞が出来上がると、成長を止めて、生命が誕生する。生命の誕生と同時に人間は自分の力で、中から、そして、上から下へ向かって治癒力が発揮される。
12.西洋医学の病名は18000か、それ以上あるが、カイロプラクティックの病名は脊椎のずれによって生じるサブラクセイションのみである。後頭骨1個、頚椎7個、胸椎12個、腰椎5個、さらに仙腸関節を合わせて、26個のうちから、1カ所から3カ所のサブラクセイションを見つけるカイロプラクティックの方がより科学的であるのは一目瞭然である。