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アメリカ留学記 その5

パーマー大学での寮生活ではいろいろなことがあった。毎日の夕食は、ダウンタウンの図書館の近くのキャフェテリア(食堂)でよく食べた。私はメニューがあまり分からなかったので、左から順番に注文し、自分の一番好きなメニューを探した。すると、フライドチキンがとても美味しかったので、毎日注文した。

ある時、ウェイトレスが私のテーブルに自分のハイスクールの写真を置き、こう言った。

「アーユーチキン?」(あなたは弱虫ですか?)

私は、彼女が「ドゥーユーライクチキン?」(チキンが好きですか?)と尋ねたのかと思って、「アイライクチキン」(私はチキンが好きです)と答えてしまった。今思えば、ガールフレンドができる絶交のチャンスをみすみす逃してしまった思いである。

さて、パーマー大学での生活に慣れると、私はアパートで一人暮らしがしたくなり、いろいろなところを探した。ちょうど、最初のパーマースクールオブカイロプラクティックが設立された校舎の横に安くて手頃なアパートが見つかった。

1ヶ月75ドルで契約し、憧れの一人暮らしをすることになった。

アパートのオーナーは、ミセス・オーバニアンと言い、とてもよくしてくれた。このアパートには、たくさんのパーマーの学生が住んでいた。パーマー大学から近いせいか、私のアパートは昼になると、寮生活をしていた多くの香港から来た学生が昼食を作りにやってきた。サミールイ、イッーポーワイ、ゲリーロなどが私のアパートに集まって来たのは、この頃からである。

夜は柔道を教えにYMCAに行っていたので、私の部屋はオープンにしていた。

このアパートで友達がたくさんできた。マイラン、ジェーンをはじめ、スイスから来たピーター・アミエットと仲良くなり、彼は私の柔道の生徒にもなった。

メリークレスト大学で東洋人会のパーティーが開催された時に、彼を一緒に連れて行った。そこで、彼はベトナムから来たリサという女性に一目惚れしてしまい、2人は後に結婚した。彼は、ある時、マリファナを売買したということで、警察に捕まったが、私だけが彼は無罪だと言ってかばった。

他の多くの友達は彼から離れていってしまった。

彼はシカゴの刑務所に入ったが、デブンポートで最も優秀とされる弁護士を雇い、とうとう無罪となり帰ってきた。私は、彼のためにパーティーを開いたが、誰も来ようとはしなかった。その彼も、大学でまずまずの成績を修め、無事にパーマー大学を卒業し、今では立派なカイロプラクターになっている。

ある日、大学の前のコンビニへ買い物に行くと、見知らぬ中年男性から声をかけられた。彼が、私がどこの国から来たかを尋ねてきたので、日本からパーマー大学に勉強に来た、と答えた。

すると、彼はこう言った。

「私の娘に日本語を教えてほしい」

英語の勉強にもなると思って即座に、私でよければお教えします、と返事をした。それから1週間に1回、彼の家で彼の娘に日本語を教えることになった。

彼女の名前は、「ベス・エリザベス」と言い、大学に行きながら、近くの中華料理店でウェイトレスのアルバイトをしていた。私は、この中華料理店の店主にとてもよくしてもらった。もう1軒、中華料理店が川向こうのロックアイランドにあり、ここの店主も私達東洋人の学生にはとてもよくしてくれた。今では息子さんが店を引き継いで頑張っている。

この頃になると、友人達が車の免許を取ることを勧めてくれた。そこで、友人の車を広い公園で走らせ、運転を教えてもらった。約1週間の練習を経て、運転免許の試験を受けた。

筆記試験を終え、実技試験になると、試験官(当時は警察官)が横に座った。2ブロック運転して、また元の場所に戻ってくるというものである。私は、赤信号の前に来るたびに、急ブレーキをかけてしまい、その度に、アイムソーリーと謝った。

受からないと思っていたが、もう少ししっかり勉強しなさいと言われて、合格証をもらい、運転免許証を取れた。次の日には、早速中古車会社に行き、エアコンがついた1962年のシボレーを275ドルで買った。

これが私の最初の車である。

ある日の昼に、私はダウンタウンのコーヒーショップでコーヒーを飲んでいたら、金髪の可愛い女性が入ってきた。しばらくして私はアパートに帰るために、愛車のシボレーを運転してアパートに到着しかけたところ、さっきの女の人も同じアパートに入ろうとしているのが目に入った。見とれていると、次の瞬間、車はレンガの壁にぶつかり、ヘッドライトを壊してしまった。

彼女はびっくりしてアパートに入ってしまった。私は無事パーキングに駐車して、家賃を払いにオーナーのミセス・オーバニアンの部屋に入ると、さっきの彼女がそこにいるではないか。聞くところによると、彼女の名前はヴィッキーで、この町で一番大きな銀行であるデブンポート銀行で働いているということだった。

さっきの私の失敗に、彼女は大笑いしていた。

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