シオカワグループ シオカワグループ

バルセロナオリンピックと海外での思い出

冬の寒い日に、日露戦争で大激戦となった大連の203高地を訪れた。初めての中国大陸の訪問であったが、とても親近感を覚える街であった。この街のシーフード・レストランで一番有名なところに行ったが、すべて大理石でできた部屋に通された時にはその素晴らしさに驚かされた。また、中国でも有名な書家と陶芸家に会うことがあり、脊椎の矯正をしたらとても喜んでくれた。

書家は、すぐに筆を執って一筆書き、私にその作品をくれた。一方、陶芸家は決して自分の作品は売らない人だとのことだが、私の矯正に感激して自分の作品の1つをくれた。

とにかくこの大連の人は、日本人にとても親切にしてくれる。聞くところによると、大連の駅は上野駅を模して作られたそうである。

1992年、私はバルセロナオリンピックでオマーン国の公式カイロプラクターを務めた。オリンピック中は、選手が少なかったので3、4日休暇を取り、ニース、モナコ、イタリアに遊びに行った。

まず、スペインのバルセロナからイタリアのローマに一泊した。翌日、ローマを出発して、ニースの飛行場に着き、そこからタクシーでモナコまで向かった。ここには2泊した。モナコのホテルは高かったので、少し離れた海岸の近くにホテルを取った。モナコ公国では、毎日中世の服を着た人たちが儀式を行っていた。とても新鮮で感激したのを覚えている。

オリンピックが終わり、帰りにオランダのアムステルダムに立ち寄った。その時に見たアムステルダム中央駅が東京駅にそっくりだった。聞くところによると、この駅を真似て東京駅が作られたということである。

▲バルセロナオリンピックにて

ヨーロッパで印象に残るところは、キプロス島である。この島には、数年前に講演できたことがある。約300名のヨーロッパのカイロプラクターの前で、トムソンテクニックについて講演を行った。

キプロス島は、英語でサイパーと呼ぶ。トルコとギリシャに分断されて、長い戦乱を経験した国である。当時は、ロシアから多くの観光客が押し寄せてきていた。私が講演を行ったホテルはギリシャ側であり、多くのロシア人の観光客が訪れていた。

この海岸の向こうにはアフリカ大陸があり、イスラエルもある。私の講演に感激した主催者は、私に感謝の品をくれた。いつかトルコ側のキプロスも訪問したいと思った。

▲キプロス島にて公演中の塩川満章D.C.

キプロスから帰国した後に知り合ったアルパとの出会いは、とても面白かった。彼はトルコのイスタンブール出身であった。私がサンフランシスコにあるイタリア系のネクタイショップで買ったネクタイが、彼と知り合うきっかけとなった。

そのネクタイは、世界で10本しかないという触れ込みで買ったのだが、私が表参道のレストランでアルパに最初に会った時、彼もそれと同じネクタイをしていた。それが元で彼とはとてもよい友達になった。アルパは初め20歳そこそこでK-1の選手を志し、日本へ来たそうである。その後、努力をして、トルコ料理店を数件経営するようになったのである。

私も昔20歳の時にカイロプラクターを目指して、渡米したことが思い返され、アルパにはとても親近感を感じた。違う点としては、彼はK-1の選手を目指し、最終的にはトルコレストランのオーナーになったが、私はカイロプラクターを目指し、その夢を実現させたことである。

私がカイロプラクターになった大きな原因は、カイロプラクティックの考え方に共鳴したからである。カイロプラクティックの脊椎矯正により神経圧迫が無くなれば、体の中に起こっているすべての情報を脳へ伝達することができ、治る力が100%発揮され、さまざまな症状や病気が治っていくという考え方に、私は共鳴と感激を覚えたのである。

そのため、脊椎に起こる神経圧迫の場所を見つけることを目的としていないのに、カイロプラクターと称している人たちには一種の違和感を覚える。私は、そのカイロプラクティックの考え方や技術を正しく学ぶための学校を設立し、多くの人々を助けられるカイロプラクターを育成することに情熱を感じている。

pagetop