学生時代ラグビーをずっとやっており、社会人になってからも週末を使ってラグビーを続けていた。
体の調子は良く、仕事も出張が多かったり残業が多かったりなど激務だったがしっかり働くことができていた。しかし、2023年5月末にラグビーの試合で頭を打ち付けて脳震盪になって以来自律神経が乱れ始め、だるさ・集中力の低下・無気力感が続き、そこから一年以上自律神経失調症の症状が残っている状態だった。
呼吸もうまくできず、息を吸っても吸っても酸素が足りない状態で、月に2~3回脳神経外科で点滴と酸素カプセルで治療をしていた。しかし、1回受けるために半日かかる点滴と酸素カプセルの治療後も2~3時間でまた元の状態に戻ってしまい改善ができていない状態だった。
それ以外にも、硬膜外気体注入療法も2度受けたり、心療内科で精神安定剤を処方され服用したりしていたが中々改善せず悩んでいた。
また仕事ではデスクワークの時間が長くストレートネックと診断され常時首に痛みや重さがあり、腰も過去にラグビーで痛めた影響か病院ではかなり椎間板のスペースが狭くなっていると言われストレスを抱えていた。そのため週2回は最寄りの整骨院に通っており多少の緩和はしているものの、根本的に良くなっていないと感じていた。
自律神経だけでなく首や腰ももう治らず一生このままの生活なのかなと諦めかけていたが、このままずっと同じ生活を続けていくのは難しいと様々な治療法を調べている中で塩川カイロプラクティックに出会い、最後の望みを託して来院を決意した。
呼吸が浅く低酸素
左仙腸関節の可動制限
上部頸椎の過緊張
初診時の問診と検査の結果、はっきりと骨盤部と上部頸椎の問題が見つかり、確信を持ってアジャストメントを行った。
2回目の来院時にはかなりすっきりしてこれまでの症状が10だとすると一気に3くらいになったと話していた。
左仙腸関節の緊張や上部頸椎の緊張はまだまだ残っていることに加え、椎間板レベルもかなり慢性的だったため週1~2回のペースでケアを続けていくことに決めた。
8回目の来院時には徐々に左仙腸関節に動きが出始め、左起立筋の緊張も徐々に抜け始めてきていた。
上部頸椎の緊張も依然としてあるが、初診時は両側にあった緊張が右側だけに変化してきた。
検査でも1週間に2回のペースでしっかり保てており、状態も上がってきているため、1週間に1回のペースに間隔を空けてみることにした。
13回目の来院時には左仙腸関節の動きはだいぶ出てきたがまだ浮腫は残っている状態だったため、この時点からリスティングを仙腸関節から仙骨に切り替え、S3PLでアジャストメントを続けていくことにした。
また右側に残っていた上部頸椎の緊張も徐々に抜け始め、浮腫も一ヶ所にまとまってきている状態だった。
19回目の来院時には上部頸椎の緊張も完全に抜け、仙腸関節の動きや腰部起立筋の緊張も落ち着いていた。
症状としても疲れた時たまに出るくらいまでに回復していて、日常生活できになることはほとんど無くなったとのことだった。
現在も再発・悪化予防に加えてさらに体調を良くしていきたいとのことで週に1回のペースでのケアを続けている。
今回のケースは外傷による自律神経への後遺症が残っているケースで、病院で様々な検査・治療を行ってもはっきりとした診断や目立った効果は得られず、もう一生このままの生活をしていくのかなと諦めていた状態だった。
自律神経失調症が発症した要因として頭を打ち付ける外傷もあったことから、頸椎にも強いダメージが加わっているのではないかとまず考えて問診・検査を行った。
検査の結果では上部頸椎と骨盤部にはっきりとしたサブラクセーションが確認され、それが体の治癒力を阻害していると推測できた。
このような脳に酸素が薄くぼーっとしたような状態では血液中のヘモグロビンが不足しているケース、いわゆる貧血が考えられる。
貧血の理由として多いのは鉄欠乏性貧血で、ヘモグロビンの材料は鉄のため鉄が不足することで赤血球の働きが悪くなり、酸素をうまく全身に運べなくなることで集中力の低下や息切れ、疲れやすさの要因となる。原因として考えられるのが消化管出血で、便が黒い・赤いなどの症状が現れる。
その他慢性疾患に起因するケースや栄養不足に起因するケース、血液を作る骨髄の機能異常などの血液疾患が生じるケースなどが考えられるが、その他の2~3割のケースは医学的に説明不能とされている。
今回のケースでは上部頸椎のと骨盤部の副交感神経エリアに発生したサブラクセーションにより、交感神経が過剰になったことで血管の拡張/収縮機能に異常が生じ、酸欠状態のような症状が起こっていた可能性も考えられた。
上部頸椎と骨盤部のサブラクセーションが取り除かれたことにより、脳と体が神経によって正常につながり自然治癒力が最大限働いたことで症状の改善につながったと考えられる。
執筆者塩川カイロプラクティック治療室高島 克哉
神奈川県川崎市出身。横浜市の整体院に勤務後、世田谷区で開業。自分の治療法に確信が持てず、様々な治療法を模索し多くの講習会に参加。そんな中、偶然塩川雅士D.Cの記事を読んだことをきっかけにカイロプラクティックの持つ無限の可能性に衝撃と感動を覚える。その後塩川カイロプラクティックスクールに参加し、研修を経て正式に入社。現在は治療にあたりながら塩川スクールのインストラクターを担当する。